欧州建築行脚27 リヨン ラトゥーレット修道院

7月10日日曜日。

朝5時起き。今日は6時間かけてフランスのリヨンまで大移動。眠い目を擦りながら静かに部屋を出ていく。

ラトゥーレット修道院

ムキムキ建築。造形で圧倒するとはこのことか、という感じ。てっきりル・トロネからインスピレーションを受けていると書いていたから静かに強い建築だとおもっていたけど、強さは当然、かなり刺激的な建築だった。

ガイドは残念ながらフランス語。ちょいちょい自分のために英語を挟んでくれていた女の子の気遣いは嬉しかった。

ツルッとしたカラー表現。湾曲した壁面。ひとつひとつが重たいカラーに包まれて、独特な世界観に入り込んだような感覚。

コルビュジェの造形でひとつ感覚が掴めた気がする。ピロティの「浮かせる」という操作、ピロティに限らず、家具なども。浮かせることで気持ちが楽になるようになっている??

地上から浮かせる、壁からボリュームを分離する、ひとつひとつが独立したボリュームであることにこだわっていると思った。そうすることで光が入ったり、いろんな角度からいろんなシーンが楽しめるようになっている。採光装置一つでも造形物単体として機能する。

空間構成も、ロンシャンの礼拝堂の内部と、ラトゥーレットの中庭の作り方が似てるような気がする。規定された空間(回廊)から飛び出るようにしてボリュームがくっつけられ、それぞれが浮遊感を持って全体が統一される。さらに浮いている一個一個のボリュームが重たいコンクリートで作られているから、余計に迫力が出る。

「自由な平面」という言葉は結構抽象的だと思う。ドミノシステムよりさらに抽象的だけど、規定されたボリューム(回廊)の中に自由に異なるボリュームを挿入できるようにする、これも広義の「自由な平面」なんじゃないか?なんて勝手に想像。ある空間を規定することではじめて他の空間も決まってくる。それをル・コルビュジェはドミノを通して伝えたかったんじゃないだろうか。自由を得るために何かを規定する、建築に限らない話かもしれない。

身体に訴えかけてくるような建築だった。悔しいけど全然言語化できない。けど言語化できない建築が1番面白いとも思う。非言語を非言語で吸収できるデッサンを習得したいなぁ。

カメラ

カメラのシャッター切る以外の機能が全部使えなくなった。ズームも効かんし、ピントも合わない。旅行まだ半分たってないのにこれはキツすぎる。どうしよぉおお

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