「商品」としての建築の許容 〜良い価値観を普及させるために〜
建築がもっと社会に影響を及ぼすには
建築が社会に影響を及ぼすにはどうすればいいのか。建築家が建てる住宅は社会的にメジャーなものではない。当然社会的影響力は小さいと思う。でも、建築家は皆それぞれ強い思想を持っていて、それはきっと社会にとって価値のある考え方だ。しかし建築をただ建てていれば社会は変わるのか。おそらくNoだ。
良い住宅とは
世間一般の良い住宅というのは、広い、機能的な、便利かつおしゃれなもの、という認識じゃないだろうか。金持ちになったら豪邸に住む。それが社会的なステータス。みんなそれを目指して仕事に励む。そんな印象。
でもいい住宅というのは、必ずしも機能的ではなく、どちらかというと人間本来の強さを信頼した、自然や土地に根差したライフスタイルを実現できる住宅。これは結構いろんな建築家の共通した価値観じゃないだろうか。
価値観を世に広める
問題の本質は、この価値観を世の中、特に大衆にに広めること。金持ちがなんでもかんでも所有して、“贅沢”に暮らし、カッコいいと思われる価値観は壊さなければ。ミニマムに、人間自身を肯定する、強い生き方を許容する住宅と生き方。これが金持ちのイメージとオーバーラップすると、世の中はいい方向に進むはず。資本主義社会である以上、「消費」は必要だろうが、その中に良い美学が宿ってほしい。
大衆の価値観と、強い生き方良い住宅という価値観。これをマッチさせるにはおそらく、この価値観のもと作られた住宅を広く普及させるしかない。資本主義社会の購買行動にのらなければならない。なぜなら住宅を建てる選択肢として9割が市場の中で扱われているハウスメーカー等の住宅だから。
「商品」としての住宅を許容する
ル・コルビュジェは工業化技術を駆使して、質のいい住宅を一気に世に広めようと試みた。難波和彦さんも無印と組んで1000戸以上の住宅を世に広めたという。
資本主義社会の仕組みは現状変わらないから、このシステムに乗っかりながら、大衆の住宅観を変えていく。ハウスメーカー的住宅を批判したいのだが、住宅供給の現実を見れば、まず「商品」として売っていく住宅を許容しなければならない。そこから質の高い住宅を広めていく。矛盾を受け入れながら進む、これが未来へのカギじゃないか。