死にそうな練習こそ意味がある。
5月31日火曜日。5月ラスト。
午前、論文の図版修正。修正することで、何を伝えたいのか、実際の建築がどのようにできてきたのか、解像度が上がっていく。
午後、2週間ぶりにキックボクシングジムへ行く。出されたメニューは10R連続ミット打ち。土壇場で耐えられるように鍛える練習。自分のミスで8Rで終わってしまった、次は必ずやり遂げる。練習の意図を理解し、付き合ってもらう人の気持ちも考える。
死にそうな練習をする意味は二つあると思う。一つは動き。本当に死にそうになるけど、きついからこそ見えてくる体の動きがある。きつい時こそ体の力は抜ける。無駄な動きが減る。そこで成長したパンチが出せるようになる。
もう一つはメンタル。どんなことでも、追い込み続けた時こそ、自分にとって得られるものは大きいのだと思う。死にそうでもポーカーフェイスで相手に食らいつくメンタル。この練習に耐えられると、大抵のことは苦しく思わないはず。このメンタル力は普段の仕事にも持ち込める。
夜、修論中間発表の骨格作り。卒論と修論として今までやってきたことをどう繋げるか。今後の方向性を決める意味でもしっかり取り組みたい。