難波和彦「箱の家169」 人生かける住宅とは

4月30日日曜日。


午前、太田博太郎『図説日本住宅史』、『民家のみかた調べ方』を図書館で閲覧。非常に古い本だが、農家の住宅の標準形について明快に解説されており、古典の良さを改めて知る。ちなみに同著者で、新訂版と旧版の両方閲覧できたが、旧版の方がわかりやすかった。


午後、難波和彦「箱の家169」の見学会に参加。非常に大きなセカンドハウス。目玉は2階床下に設置されている水の比熱を利用した空調設備。大規模な実験装置だったが、普段は通常のエアコンで事足りるという。実験としては面白い試みだが、住宅としては美学を感じられなかった。難波先生曰く薪ストーブに関しても、「使わないだろうけど、つけてくれと言われてつけた」と言っており、少し不満そうにみえた。

住宅としての素直な感想は、お金持ちの無駄の多い住宅。セカンドハウスという考え方自体、あまり良いとは思えない。良い住宅というのは、自分の人生を共に過ごす唯一無二の存在なのではないか。人生一度の大きな投資で、自らの生き方を体現する環境であるべきだと思う。あれもこれもと機能を付け加えていくのではなく、本当に必要なものは何かと考え、削ぎ落としていくデザインこそ美しい。そう言った探求から詩的な感情も生まれてくる気がする。

けれど、難波先生のサスティナブルな問題に対する研究はやはり興味深い。住環境と温熱環境は切り離せない問題だ。環境問題に日本人の詩的な感覚をミックスさせられないだろうか。


夕方、後輩竜太郎とコンペの話。妖怪を他者と捉えて建築を考えるらしい。妖怪は建築から生まれたんじゃないかという仮説。おもしろい。案として都市へどう広げていくのかが難しいかもしれないが、『錯乱のニューヨーク』や『メイドイントーキョー』のような、観察からみえる都市を解釈して妖怪らしさを発見できたら面白いんじゃないか。


夜、ル・コルビュジエ『ユルバニスム』を読む。精神、情熱など抽象的・観念的な言葉が多くて大枠の内容が掴めない。けれど、30代前半でこれだけのことが書ける、はかりしれない熱をもった人物だということだけは感じられた。

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