「ル・コルビュジエ・センターの生活空間のデザインにおける芸術との融合」

卒業論文として取り組んだ研究を紹介します。

1章 背景・目的

ZHLCはチューリッヒのホーン公園の中に建てられた、住居をコンセプトとしたパビリオン建築である。ル・コルビュジエははじめ、「人間の家」として、生活空間のプロトタイプとなる住宅を設計する。しかし、ル・コルビュジエの死後、ZHLCは彼が生涯制作してきた家具や絵画を展示する展示館として実現した。住居として設計された展示館であるため、ル・コルビュジエによる生活空間のプロトタイプを示したモデル住宅であるといえる。

 本研究ではル・コルビュジエ・センターを対象とし、ル・コルビュジエの建築制作における生活空間と芸術要素および芸術空間に着目することで、ル・コルビュジエの生活に対する空間の捉え方を明らかにする。ル・コルビュジエによる最後の住宅作品を分析することで、生涯に渡って熟考してきた住宅に対しての最後のビジョンについて明らかにする。

 ル・コルビュジエの作品集スケッチ集、及び図面集に掲載されている図面・スケッチ及び言説を一次資料として用いる。これらの一次資料から空間構成要素を抽出し、空間構成の変化から制作過程を分節した上で、空間の主題の変容について分析する。

2章 ZHLCと2つのプロトタイプ

 ZHLCは傘上屋根と、その下に蜂窩状ユニットが組み合わさってできた空間によって構成されている。これら形態はそれぞれル・コルビュジエの生涯の建築制作の中で検討されながら変化してきたものである。

蜂窩状空間

ル・コルビュジエは近代史の中で数多くの住宅を設計し、後世に影響を与えてきた。その中で、「標準化」や「量産」をテーマに、規格寸法を用いた住居の設計を行う。

規格寸法を用いた最初の住居のとして1922年計画の「ヴィラ型集合住宅」があげられる。またこの中の1住居のモデルとして1924年に「レスプリ・ヌーボー館」が計画される。ル・コルビュジエは集合住宅の中の一住戸を「住居細胞」と呼び、この細胞を積層することにより空間を作る。

次に、「ペサックの集合住宅」において、「標準化住宅」が構想される。ここでは7.5m立方の住居細胞を自由に組み合わせることにより、人々の好みに合わせた住居空間を作ることができると提案している。

さらにル・コルビュジエは「モデュロール」を用いた住居の研究を行う。1949年「ロクとロブ」では「モデュロール」により導き出した特許226/226/226の原理を用いた蜂窩状立方体ユニットを用いて、身体的寸法を用いた居住空間を多様に設計する。

傘上屋根

傘上屋根はパビリオン建築のプロトタイプとして多く発展してきた。

ル・コルビュジエは「諸芸術の綜合」をテーマに、絵画、彫刻、家具、建築を一つの芸術として統合しようと試みる。主に企画展などを開催するパビリオンとして1950にはポルト・マイヨーの展示館が計画された。傘上屋根を持つパビリオン建築として設計され、屋根の下に展示動線が計画されている。

ZHLC

以上二つのプロトタイプを用いながら、屋根の下の住居に生活空間とアトリエの2つを計画し、生活と芸術が結びついた建築になっている。

3章 ZHLCにおける生活と芸術の融合(制作過程)

資料の精査によって、生活空間の構成から設計過程を大きく以下の4期の時系列に区分することがでた。また、より詳細な変化について言及するため、さらに草案の設計過程を3期に細区分した。素案は1961年6月、ル・コルビュジエは手帖の中で描いたスケッチ、草案は1961年7月28日から8月8日までの間、ル・コルビュジエがカップマルタンの休暇小屋で描いたプロジェクトの土台となる24枚のスケッチに基づいている。また、基本計画案は12月に提出された第1次計画案について、そして最後に実施計画案・実現案については1965年に提出された図面に基づいている。

平面構成

平面構成の変化から、制作が進むにしたがって、住居部分の面積比が大きくなっていることがわかり、生活空間としての意味が強くなっていったといえる。制作の全体を通してル・コルビュジエはスロープやテラスを中心として、生活の動線と芸術制作の導線を交えたり、視線的つながりを生み出したりしながら住居とアトリエの融合について検討を繰り返していたことが明らかとなった。

またその中で吹き抜けを多用しながら立体的なつながりを生み出し、外部空間から室内への動線に色々なシーンを盛り込んだ建築的プロムナードを計画していったことがわかった。

スロープ

素案では、住居とアトリエをスロープによってつなげるスケッチを描く。スロープによって作られるプロムナードの中で生活の動線と芸術制作の動線を融合させようと試みていたことがわかる。

草案になると、スロープは主に生活動線のために用いられた住居の中の空間として計画される。

また、Ⅲ期ではスロープを通過する導線の中で、アトリエとの視線的交わりが見られ、プランの中で生活空間と制作空間を再びスロープによって融合させようとしていたことがわかる。

基本計画案では、東に住居、西にアトリエが配置され、スロープは2つの境界に外部空間に接した構成となって配置される。2階には主に生活空間が配置されているため、スロープは主に生活動線として機能していたと考えられる。

スロープを外部空間に接続することで、建物内部に収まっていた芸術鑑賞が外部空間に拡張され、芸術の対象が絵画から景観まで広がった。

最後に実施計画案では、スロープに関して、大部分が外部へ張り出すようになり、生活動線に外部を取り込む意識が強くなったといえる。

テラス

テラスは草案においてはじめて計画される。住居とアトリエ双方に接続され、生活における外部空間と芸術制作の場としての外部空間の融合を試みていたと推測される。しかし、Ⅱ期Ⅲ期になるにしたがって、テラスはアトリエに多く接続され、制作の場としての意味が強くなる。

基本計画案になると住居の面積が大きく増加したことも相まって、住居とテラスを融合させたテラスに加え、住居部分に独立したテラスが設けられる。結果的に、テラスは居住部分に多く用いられる。

吹き抜け

吹き抜けもまた、草案においてはじめて計画される。しかし草案ではアトリエ部分にのみ用いられ、上下階の接続で住居とアトリエを交差させる計画にはなっていない。

基本計画案になると、1階にアトリエ、2階に住居が計画され、吹き抜けを用いて立体的に2つの空間を接続する計画へと変化する。2階住居部分から1階のアトリエを覗き込むことができ、1階アトリエと2階住居を視覚的にも接続している。

立面構成

Ⅱ期では断面の素描から、226㎤の幾何学の組み合わせが確認でき、このグリッドを元に計画を進めたことがわかる。

このグリッドを基に空間を区切り、芸術要素として壁面を計画します。1階住居及びアトリエ部分に「波動ガラス壁面」が採用され、壁面と生活空間の関係性について検討された。生活機能である換気・採光を確保しながら、視覚的に芸術と触れられるよう計画したと考えられる。また、周辺の景観をガラスフレームにより切り取り、生活の中で芸術として鑑賞するというイメージがあったと推測できる。

基本計画案でも「波動ガラス壁面」について検討され2階部分まで拡張され、建物の南北壁面の片側全体を覆う計画となる。

実施計画案ではガラス壁面「アエラトール」及び1.13m×2.26mの色彩パネルの検討がみられる。カラフルな配色によりファサードや空間内部の様態が大きく変化し、外部空間への意識が強くなった計画へと変化していったと考えられる。

基本計画案では主に、建物内部の生活シーンの中で芸術の鑑賞について構想されていたが、実施計画案では、外部空間から建物へアプローチする際にファサードを含めた建物を鑑賞できるようになっており、芸術鑑賞の対象がさらに広がった。

結論

以上より、次の結論が導き出せた。

1. アトリエと住居の接続による生活と芸術の融合

アトリエと住居の接続による生活と芸術の融合について、テラスやスロープの計画を通じて、建築的プロムナードの一部に外部空間を挿入した。また、吹き抜けによって、立体的に空間を接続した。

2. 芸術作品の拡大解釈による生活と芸術の融合

芸術作品の拡大解釈による生活と芸術の融合について、「モデュロール」による蜂窩状空間によって区切られた空間に、壁面を換気・採光の生活機能を確保しながら、芸術作品としてデザインし、「波動ガラス壁面」や色彩パネルといった建築的要素として日常生活の場に溶け込ませようとした。

以上より、ル・コルビュジエは生活と、制作の場としての芸術が融合された空間の中で、「芸術作品art work」を建築の制作を通して拡大解釈し、生活の一部として定着させようとしていたと考えられる。

4章 美術館としてのZHLC

ル・コルビュジエの初期作品に遡ると、例えば1923年に計画されたラ・ロッシュ・ジャンヌレ邸では生活の場に美術の展示空間を併設し、建築的プロムナードでこれらを結びつけるなど、生活と芸術をZHLCと同じように結びつけようとしていたことがわかる。ル・コルビュジエ は「諸芸術の綜合」を謳い、様々な芸術について統合しようと試みていたが、その中で住居と芸術の融合というテーマについても初期から晩年に至るまで試行錯誤を続けていたといえる。

ところで、美術品を展示する公共の場としては美術館があげられる。近代史の中で、美術館は国中のあらゆるものを収蔵し、王族貴族の権威の象徴となっていた。ルーブル美術館はそのはしりである。絵画や彫刻、また生活におけるきらびやかな食器や道具など様々なものを収蔵し、これらを市民に公開している。しかし、これら美術品は生活のシーンから切り離された状態で展示されており、美術作品のあり方として議論を呼んでいる。

美術作品は美術館という「箱」の中に閉じ込められて展示されていたが、ル・コルビュジエは生活の一部として芸術を結びつけることで、改めて日常と芸術がともにあることを訴えた。そしてそれらをパビリオン建築として世間に開くことで、これまでとは異なる美術館を計画し、近代文化に対するアンチテーゼを示したと言える。

参考(パワーポイント)

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